ハイデルベルク

こんにちは!

ドイツ南部にあるハイデルベルクという町を知っていますか?

ハイデルベルクと言うと...

JR代々木駅で見かける、「ドイツ語学院ハイデルベルク」を思い出してしまうのは私だけでしょうか...

ところで、日本人にはあまりなじみのないハイデルベルクですが、ドイツやヨーロッパではトップクラスの観光地です。

毎年、約300万人もの観光客が訪れると言われています。

そんなハイデルベルクの風景画こちら!!

中世の香り漂うとってとてもロマンチックな町並みです。

ハイデルベルク 橋

レンガ造りの橋がとっても印象的で、とってもオシャレです。

町自体もかわいいので散歩をするだけでもウキウキしてしまいますが...

ハイデルベルクと言えばやはりハイデルベルク城です。

ケーニヒスシュトゥールという山の北斜面に建てられたハイデルベルクの象徴的建物です。

山の斜面に建っているので、見学に行くときには山を上って行くのですが、結構傾斜がきつかった記憶があります。

ですが、緑が多いのと日本ほど車も沢山走っていない事もありちょっとした運動と森の新鮮な空気で体のリフレッシュになりました。ぜひハイデルベルクへ行ったときは歩いてハイデルベルク城へ行ってみてください!!

そして、そのハイデルベルク城はこちら!!

じゃじゃ〜〜〜ん!

ハイデルベルク城

下から見たハイデルベルク城

ハイデルベルク城

近くで見たハイデルベルク城です。

この写真のように今は廃墟と化していて、崩れている場所がたくさんあります。

ハイデルベルク城

ハイデルベルク城はいくつかの建物で構成されています。

その中でもいい状態で残っているのがこのフリードリッヒ館です。1607年にフリードリッヒ4世よって建てられて、その後も代々の選帝侯用居住エリアとなっているのがこの建物。 そして、この建物の裏にはテラスがあります。そして、そのテラスには一つの大きな足跡が...

ハイデルベルク城の足跡

この足跡には裏話があります。

ある日、選帝侯妃がこのフリードリッヒ館で若い騎士と浮気中狩に出かけていた選帝侯が予定より早く帰ってきてしまった、慌てたこの若い騎士は靴だけをはいて窓から飛び降りて逃げたと言う。

若い騎士が窓から飛び降りた際についたのがこのかかとのあとだという。

でも、かかとがこんなにめり込んで...

ものすごく足がジ―――ンとしたことだろうと思います。

なので、この足跡に足がピッタリあった人物それは選帝侯妃の浮気相手だと言うことです!

ハイデルベルクへ行った際には旦那様や彼氏の足でお試しください。

以前このブログでも紹介した ノイシュヴァンシュタイン城に比べると華やかさと豪華さに欠けますが...

でも、ハイデルベルク城には歴史があります。

なぜハイデルベルク城がこのような廃墟状態になってしまったのか、長い歴史を簡単に下にまとめてみました。

・ハイデルベルク城は、プファルツの国(ハイデルベルクを含めた一帯のエリア)を治める選帝侯の居城であった。

・1618年〜1648年まで続いた30年戦争で初めて城に砲弾が飛んでくる。

この後、城は破壊と再建を繰り返す。

バイエルン公マクシミリアン1世を首魁とするカトリック連合軍がのプファルツに襲いかり1622年8月ハイデルベルクへの砲撃される。

9月に街が占領され、その数日後には城も占領された。

1633年5月にスウェーデン軍がハイデルベルクの街を占領しハイデルベルク城に砲弾を浴びせた。

カトリック側の司令官は城を明け渡したが、翌年には皇帝軍が城を奪回するために再び来襲し、1635年7月に占領され終戦を迎える。

1649年10月に新しい統治者がその家族と共に、この破壊された主城に再び入城する。

・その後、城はフリードリッヒ5世の長男、カール・フィリップが受け継ぐ。そして、娘であるリゼロッテはフランスのルイ14世の弟オルレアン公と政略結婚をさせられる。 兄のカールが亡くなるとルイ14世はリゼロッテと結婚した際の契約を破り、プファルツ(ハイデルベルクを含めた一帯のエリア)は自分達に相続権があると主張した。それをハイデルベルク側がはねつけたことにより戦争が始まる。(プファルツ継承戦争)

フランスは1689年と1693年に2度亘りハイデルベルクを攻めた。その際にハイデルベルク城やその周辺は破壊されフランスは街全体を占領した。

・その後、プファルツ継承戦争が終結し、平安がもたらされた際、カール3世フィリップは城を完全に建て替える計画を試みるが資金難の為計画は実行されなかった。その後、宮廷をマンハイムへ移転する計画が持ち上がり選帝侯はハイデルベルクに対する興味を失った。

次代のカール・テオドールは、城を修復しようと計画するが、工事中の1764年に落雷により城は炎上し、修復工事は中止されてしまう。

・19世紀にフランスのシャルル・ド・グライムベルク伯が古城の維持を主張して戦った。文化財保護がドイツで始まるずっと前に城の保存と資料の整備を訴えた。この為、城は崩壊を逃れた。

・廃墟となった城はロマン主義の芸術家を魅了し熱狂させた。そして、多くの詩人や画家がハイデルベルクに集まるようになった。あの、ゲーテもこの廃墟となったハイデルベルク城を8回も訪れている。

・城は現在、バーデン・ヴュッテンブルク州の財産として管理されています。

こんな長い歴史を考えると、この崩れかけたお城にはロマンを感じてしまいます。

沢山の人たちがこのお城い惹かれるのがわかる気がします。

ぜひ、一度ゲーテも眺めたこのお城を見て歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

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